| − 大学 − 元マラソンランナー 松野明美さんを迎え 『平成14年度 スポーツ講演会』 開催 |
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146pの小柄な体に似つかわないバイタリティーある走り,そして駅伝やロードレースで走るたびに新記録という大活躍,そして引退後,講演やタレント活動など幅広く活躍中の松野明美さんを迎えての平成14年度スポーツ講演会が開催されました。 松野さんは熊本県生まれ,高校卒業後大手スーパーのニコニコ堂に入社,同女子陸上部に所属され,1万mでは,1989年熊本県選手権大会優勝,当時としては日本新記録で,3年間は負け無しの成績でした。またマラソンに転向され,1992年大阪国際女子マラソン2位。この記録は当時としては日本新,アジア新記録で,かつ初マラソンでの世界新記録。その後,1995年の引退まで活躍されました。
松野さんの人を引きつける魅力ある話ぶりと,ころころと玉の転がるような声であっという間の1時間の講演でした。まず,本大学体育会の学生の礼儀正しさを褒めていただき,礼儀の基本である挨拶の大切さを力説されました。 ニコニコ堂での選手時代の8年から9年間を振り返って,仕事をして給料をもらいながら,ニコニコ堂の名前を知らしめる,その意識が速くなる原動力になったそうです。朝は5:30起床,6時から7時まで早朝練習,9時から午後3時まで勤務,夕方は2時間半から3時間の本練習という生活だったそうです。1日30〜40キロ走り,そのほかに通勤や休みの日にも他人に隠れて走り,これくらい走らなければ通用しないと思っていたそうです。 そのうち,日本陸上女子1万mのエースとして,ソウル五輪に出場。日本新記録で走るも,惜しくも予選落ち。大舞台に立ったその心境は,「日頃,日の丸を見ても何も感じないが,このときばかりはここで死んでもいいと思うくらいに日の丸が嬉しかった。」そうです。また,ゴールで「ばたっ」と倒れる様子をパフォーマンスだと思われたことや,「がんばってください。」の声援にプレッシャーを感じ,以前にもまして練習をし,我慢のしどころだと自分に言い聞かせていたそうです。 エピソードとして,マラソンのオリンピックの選考会で,給水ボトルがうまく取れなかったことや,ダントツトップでインターハイ・九州地区大会を制覇しながらも,強風で飛ばされ足をラインの中に入れてしまい失格になった苦い思い出も,話してくださいました。 「努力し,人のことが気にならず練習が楽しくなっているときは記録が伸びている時であり,それは何事にも及ぶ。」松野さんは「夢・感動」と必ず色紙に書かれるそうですが,「5年後・10年後に内面の輝きのある,いい顔,いい生き方をして欲しい。」また,「自分は7時間までは,喋れる。」とお茶目なこともおっしゃいました。そして,「来年の4月で35歳になりますが,私も,皆さんも失敗を恐れず,チャレンジしていきましょう。」と締めくくられました。
抽選会では,松野さんより,トレーニングウエアがプレゼントされ,最後にこのスポーツ後援会が30回続いていることを聞き,「継続は力です。夢に向かってお互いにがんばっていきましょう。」と励まされました。 略 歴
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