永田 仁さん

永田特殊機械(自営)

1974年 工学部 機械工学科卒業

永田さんの実家は、昭和30年にお父さんが興された機械修理業を営んでおられました。永田さんの幼いころの遊び道具は機械の部品で、欲しいものは自分で作られていたそうです。自然と機械工学に進むことになり、将来は大手の企業にと、漠然と思われていたそうです。

「大学時代は特に目立つこともなく、普通どこにでもいる学生だったと思います。仕送りだけでは生活できず、いろいろなアルバイトを経験しました。そこでの経験は現在のものづくりに役立っています。昭和46年、ドルショックで経済が厳しい状況に陥る中、大学3年の時に恩師や親の薦めで急きょ、教職課程を取り教員採用試験を受けたものの不合格で、結局、大学の推薦で昭和49年北九州の金属加工業界へ就職しました。」

「4年間、品質管理の仕事をしましたが、体を壊してしまい、熊本で親父の修理業を手伝うことになりました。親父からいろいろな技術のノウハウを教わりました。そして依頼者から、技術に対する信頼を得る難しさを身をもって感じました。町の機械屋ですから、各方面からいろんな物の修理、制作依頼がありました。
中には零細企業の重労働を解消する、一品物の機械も作りました。一人でもいい!喜んでもらえる人のために機械を作ろうと思い、この経験は、人生の転機となりました。」

  • 永田さんの事務所には、ところ狭しとさまざまな凧が・・・。

  • 恩師の小西先生とは28年ぶりの再会

熊本凧の会からミラクルウィングが生まれたそうですが

「凧の会で活動していて、一番残念なのが、雨の日と風のない日です。そこで考えました。無風で揚がる凧です。これで、楽しみにしていた子どもたちをがっかりさせずにすむのではと。」

ミラクルウィングとは?

「材料は、厚さ0,5mmの発泡スチロールシートで、浮羽ペーパーと呼ばれています。浮羽町の町おこしにも使われているこのペーパーを使うと、嘘のように軽い凧が簡単にできるのです。また、凧を揚げるための糸をはずしても飛行します。鳥でなくても、どんな形でもよいのですが、まず凧の場合材料が薄いにもかかわらず、適度の強度があるため、和凧のような骨を必要としません。その分、軽くなるわけです。糸を付け、0,3~0,5m/sの速さで糸を引くと凧が揚がります。また糸を付けない場合、形が鳥であるとすると、鳥の首の位置に重りを貼り付けます。鳥一羽の重さが1g無いため、重りも数百mgしかありません。重りを貼ることにより、この鳥を空間に放したとき重りの方向に引っ張られる状態となります。重りが重すぎると、そのまま下へ落ちます。また軽すぎると、木の葉のようにひらひらと落ちていきます。その鳥に合った重さのとき初めて空間を飛行(滑走)するのです。」

永田さんは、ミラクルウィング自動飛翔機の実用新案を登録されました。国体の新体操のオープニングで披露され、また結婚披露宴でも好評で、ホテル、イベント業界からの照会が多数舞い込んでいるそうです。また、熊本のリゾートタウン型の宿泊施設で、ミラクルウィング親子塾を開き、自分で作り思い出に残り、かつ、お土産にもなるこの企画も大層喜ばれているそうです。
幅広い趣味をお持ちの永田さんは、
・星の世界
(宇宙・星空を愛する者たちの集まり)
・灯火の世界
(明治・大正のランプとその古き明かりが醸し出す空間を愛する者たちの集まり)
・水面の世界
(カヌーと静寂の世界を愛する者たちの集まり)
・巨樹の世界
(巨樹、古木を愛し、育む者たちの集まり)
そしてご紹介した、
・風の世界
(凧を愛し創作に燃える者たちの集まり)
の5つの世界をもっておられます。
永田さんは、お呼びがかかれば、どこへでも行きます。多くの方々にミラクルウィングの楽しさ(発想の喜び)を味わってもらいたい。また、本職の特殊機械も『ナンバーワンよりオンリーワン!』をモットーに励みたい、とおっしゃっていました。

後輩に伝えたいことは?

「仕事、いや生活の中にも夢とロマンを持ってもらいたい。売らんがために心血注いでも何の喜びがあろうか。物売りではないものづくりでありたい。」と。