古本 竜一さん

建築設計への思い、母校への思い
~03年「第4回ひろしま建築文化賞」大賞、04年「第5回TILE DESIGN CONTEST」優秀賞ほか受賞!~

株式会社 古本建築設計

代表取締役

(広島工業大学 建築学科 1986年卒)

(広島工業大学附属工業高等学校 建築科 1982年卒)
(現 広島工業大学高等学校)

少年時代の憧れ

私と「建築設計」の最初の出合いは、小学校低学年のころでした。祖父の代には紳士下着のメーカーを、父の代になると繊維の卸業を営んだ家庭で私は育ちましたが、その頃、祖父の工場跡地に賃貸アパートを建てることになり、建築現場を間近に眺める機会がありました。大工さんや職人さんが仕事する姿に接し、漠然と興味を感じたのを覚えています。それを将来の職業として意識したのは、老朽化したそのアパートを建て替えた時です。私は中学生になっていました。

父に連れられて覗いた建築会社の設計部の様子に、ちょっと衝撃を受けました。洗練されたオフィス。ファッショナブルな設計士の方々。ドラフターのカッコ良さ。「こういう世界もあるのか」と、自由でスタイリッシュでクリエイティブな建築家に強く憧れるようになり、広島工業大学附属工業高等学校・建築科への進学を決めました。もちろん、小さいころからものづくりや絵を描くのが好きだったこと、起業家の祖父や父の影響から独立心が強かったことも、こうした進路を決めた背景になっています。

阿賀の家:段差が最大7m。急傾斜地でも、等高線上に住居を配置することで、眼下に広がる眺望を取り込んだ住まいを設計。地域に溶け込みながらも、個性が映える。

02年「第7回美しい街づくり賞」部門賞
03年「第4回ひろしま建築文化賞」大賞
03年 国土交通大臣奨励賞
04年「まちなみ住宅100選」奨励賞

師との出会い

附属工業高校からそのまま進んだ広島工業大学の建築学科では、恩師である谷先生のゼミで過ごした日々が忘れられません。谷先生は、横浜国大で近代建築を日本に広めた建築家・中村順平さんに師事し、やがて海外プラントの設計にも取り組んだ経歴の持ち主。その谷先生に、図面の描き方からすべてをみっちり叩き込まれました。「とにかく手を動かせ」「建築とはどうあるべきなのか」。ゼミ室で叱咤され、時には酒場で夢を語り合った体験が、私の建築家としての土台になっています。専門的な知識だけでなく、経済や政治、科学、芸術と、多彩なジャンルのお話をしていただいたことも、視野を大きく広げてくれたのではないでしょうか。

当時、実習で設計したのは図書館や公民館などの公共施設が中心でした。これは、街づくりの面から建物のあり方を考えるきっかけになり、卒業制作(※)では「広島空港」をテーマに、商業施設が複合する街並みを設計しました。今改めて眺めると稚拙な感じを受けますが、自由な発想で楽しみながら取り組めたことが、とてもいい思い出になっています。

※編集部注:全国大学卒業設計1位入選

就職、そして独立へ

大学卒業後は、まず広島市内の設計事務所に就職しました。バブルが始まったころで、とにかく忙しかったですね。所長を入れて4人という規模ですから、設計はもちろん、お客さんとの打ち合わせや施工管理、完成まですべてを自分でこなす必要がありました。それだけに仕事を覚えるのが早かったし、数をこなすほど自信にもなりました。大学時代は谷先生から、建築の夢やコンセプトづくりを学びましたが、この事務所では法的な規則やコスト面を含む建築の実務をたっぷり勉強し、4年目の27歳で独立しました。

30代半ば以降に独立するケースが多い業界にあって、私の場合は少し早かったのかもしれません。当初はまったく仕事に恵まれず、他人の仕事を手伝ってばかりいました。事務所は4畳半の賃貸アパート。ある建築家からは、設計のアイデアだけを取られるといった悔しい思いもしました。

苦しい日々を過ごすなかで、親戚から依頼された木造住宅の設計が転機になりました。予算の限界もあり、大きな工夫はできませんでしたが、一生懸命に取り組むことで、それが実績となり、建築家として信用していただけるようになりました。お客さんの要望を受け、アイデアをじっくり練り、期待以上の住まいを完成させる。ただひたすら努力を重ねることで、仕事はいつの間にか軌道に乗っていました。

仁保の家:

全面ガラス張り窓を通して、川や街並のパノラマ景観が広がる高台のコンクリート1階建て住宅。間取りは中庭を中心として、反時計回りにリビング、キッチン、洋間などの居室が廊下なしでつながる。

建築家として、工大OBとして

施主さんの意向を反映させることは当然として、家が立地する周辺環境や地域性を活かした設計ができないか。ふだんの仕事では、そこを特に大切にしています。段差が最大7mの急傾斜地で、等高線上に住居を配置することで、敷地のデメリットを眺望のメリットに変換した「阿賀の家」。10m幅のガラス張り窓から街の景観が広がるとともに、中庭には光の反射を楽しめるウォーターコートを設けた「仁保の家」。いずれの住まいも、光や風、周囲の自然景観を取り込みつつ、プライバシーと開放感の両立を目指しました。シンプルで飽きのこないデザインの中に、いつも新鮮な発見がある。年数が経つほど、愛着がわく。そんな空間を提供し続けることが、今後も変わらぬテーマです
一昨年には、自宅兼用のアトリエも完成しました。毎年夏になると、広島工業大学の学生さんたちが研修(オープンデスク)にやって来ます。建築学科のOBが集う五三(いつみ)会では、参加するたびに諸先輩方から温かい励ましの言葉をいただいてきました。これまで私が受けてきたものをこれからは若い人たちに返していきたい。彼らの応援団として、いいアドバイスができれば私も嬉しい。広島は全国でも珍しいほど、元気のある建築家が多い土地柄です。その分、競争は激しいですが、わが母校からひとりでも多くの素晴らしい建築家が生まれることを願ってやみません。(談)

※この文章は、古本竜一さんへのインタビューをもとに、談話として再構成したものです。

羽衣町の家:

鉄筋コンクリート造4階建て。古本建築設計のアトリエ兼住居。アトリエ、リビングダイニング、バルコニーと吹き抜けを連続させ、伸びやかな開放性を創出。川辺の景観をもとより、光や風、季節の移ろいも感じられる空間だ。
※04年「第5回 TILE DESIGIN CONTEST」優秀賞