2017年度入学式式辞(2017年4月3日)

2017年度に入学された皆さんへ

今年は春の訪れが遅く、本学のキャンパス内の桜は、満開と咲き誇るのを今か今かと待っています。これから新入生の皆さんと一緒に、綺麗な花を咲かせてくれることでしょう。本日、大きな可能性に瞳を輝かせて、広島工業大学に入学してこられた大学院博士後期課程1名、博士前期課程44名、学部1,120名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち広島工業大学教職員一同、皆さんを心より歓迎いたします。

高いところから失礼しますが、保護者の皆様、ご子女のご入学、誠におめでとうございます。ご子女の本日の晴れ姿をご覧になって、大変お喜びになっておられるものと拝察し、学校法人鶴学園、そして広島工業大学を代表して、心よりお祝いを申し上げます。これから、ご子女を大学院、学部で預からせていただき、立派な社会人として送り出せるよう、教職員一同、精一杯努力してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

そして、平素より本学の教育運営に深いご理解とご協力を賜っておりますご来賓の皆様におかれましては、新年度早々でご多忙のところ、本日は新入生の門出をお祝いしてくださいまして、誠にありがとうございます。高いところから恐縮ですが、厚くお礼申し上げます。

広島工業大学は、学校法人鶴学園に所属している大学です。鶴学園には、広島工業大学をはじめ、6つの学校があります。そして学園には共通する教育理念があります。一つは建学の精神『教育は愛なり』、もう一つは教育方針『常に神と共に歩み社会に奉仕する』です。

建学の精神『教育は愛なり』という言葉は、本学園の校祖である鶴虎太郎先生の遺訓です。"愛"とは、「想い」を持って教育に当たることです。「学生にきちんと向き合っているか」「教育をどのようなプログラムで展開すべきか」などと、常に学生への「想い」を持って教育に取り組み、学生の可能性を最後まで信じることであります。

教育方針の『常に神と共に歩み社会に奉仕する』という言葉は、本学園創立者である鶴襄先生が定められました。しっかりとした倫理観を持ち、何事にも感謝をしながら、真面目に努力し、額に汗して社会に奉仕する人間になってもらいたいという願いが込められています。

この二つの教育理念から生まれた本学の新しい教育プログラムが、「HIT教育2016」です。平成28(2016)年度からスタートしており、皆さんはその2期生になります。HITは、英語で広島工業大学を表すHiroshima Institute of Technologyの頭文字です。

「HIT教育2016」については、これからガイダンス等で詳しく説明してまいりますが、この教育プログラムでは、技術と人間の深い関わりを重視した教育の質を保証し、堅実な学力と豊かな人間力に満ちた「学士力」を有する倫理観ある技術者を育成することを目標としています。そこで「HIT教育2016」では、「専門力」と「人間力」という二つの大きな柱を立てています。

日本は、天然資源が豊富ではないので、さまざまな製品を作り、それを輸出することによって世界に冠たる経済大国となりました。そこには、工学などの学問が大きな働きをしてきました。グローバル化や情報化が進展する今日においても、広い意味でのものづくりが、日本経済の中で重要な役割をすることに変わりはありません。皆さんには、ものづくり技術を受け継ぎ、発展させる人材になってもらいたいと期待しています。そのためにはまず、工学、情報学、環境学そして生命学の基礎をしっかりと学び、その上で専門分野の研究を深めてください。その過程では、自ら考え、自ら判断して解決し、行動に移せる主体性を発揮するという経験を積み、時代や社会の要請に応える「専門力」を備えてもらいたいと思います。「HIT教育2016」には、そういった堅実な学力を身に付けるためのプログラムをいくつも用意しています。

さらに、複雑化、多様化する現代においては、どんな困難にも立ち向かう勇気、忍耐力も必要になります。そのため「HIT教育2016」では、「専門力」とともに「人間力」の育成に力を入れています。「専門力」を発揮するための前提として、一歩前に踏み出す力、考え抜く力、チームで働く力、あるいは社会に奉仕するといった「人間力」が欠かせないと考えるからです。

その「人間力」に関連して、昨今の風潮で気になっていることがあります。例えば、お年寄りから大金をだまし取ったりする、いわゆる振り込め詐欺がよくニュースになります。昔なら、お年寄りをだますとは、しかも大金を巻き上げるとは、何という人でなしかと社会から厳しく非難される、ありえない犯罪です。また最近は、気に入らないからとか、生意気だからと数人がかりで1人の人間に暴力を振るったり、集団でいじめたりなど、とても悲しい事件も起きています。なぜこんなことが起きるのでしょうか。

たとえ争いごとになっても昔は、けんかをするなら一対一でとか、素手でやるとか、弱い者いじめをしないとか、暗黙のルールがあったように思います。テレビドラマや映画などで泥棒がヒーローのように喝采を浴びるのも、貧しい者からは盗まないなどの掟を守っているからです。もちろん、けんかや盗みは良くないことですが、人間として超えてはならない一線があり、社会生活を送る上で最低限の約束事があったように思います。相手を思いやり、相手の気持ちになって考え、異なる意見も受け入れる、心にも余裕があったように感じます。

経済界のご意見番であるウシオ電機の牛尾治朗会長がある雑誌で、「清規」と「陋規(ろうき)」という言葉について書かれていました。

「清規」とは、けんかをしてはいけないとか、人の者を盗んではいけないとか、誰もが守るべき規律や道徳を指します。「陋規」の「陋」は、狭いとか卑しいという意味があり、「陋規」は、けんかをするなら一対一でとか素手でやるとか、裏の道徳とも言うべきものです。

「清規」が大切であることは論をまちませんが、社会というものは、そうした建前や綺麗事ばかりで成り立つものではないと牛尾氏は言います。「陋規」の裏打ちがあることによって秩序が保たれ、温かみや潤いがもたらされる面があるのです。「清規」は修繕可能だが、「陋規」は一度崩れるとどうにもならないという説もあります。考えてみれば、地域の繋がりも「陋規」が育んできたと言えるかもしれません。その地域の繋がりが弱まるのは、「陋規」が失われているからであり、それに伴って、常軌を逸した事件が頻発するようになる、という解釈が成り立つのではないでしょうか。

社会の絆が弱まり混沌とする現代こそ、「陋規」が必要なのだと思います。「陋規」は社会を構成して生きていく人間の知恵であり、一人ひとりが「人間力」を発揮することで、今の社会がより良い方向へ進むことを願っています。

最後に、「HIT教育2016」を推進していくにあたり、皆さんに一つ、お願いがあります。それは「学びのスタイルを変えてほしい」ということです。これまで皆さんは高校の授業などでは、先生から教えてもらうという受け身のスタイルが中心だったと思います。これからはその姿勢を180度変えてほしいのです。自ら学ぶべき課題を見つけ、その解決方法を自ら考え、試行錯誤して自分なりの結論を導き出したり、自分で判断を下したりするという、能動的な姿勢に転換してほしいのです。「アクティブ・ラーニング」への変換です。

これからは皆さん一人ひとりの主体性が大切になります。自分で時間割を組み、授業の空き時間には、図書館やラーニング・コモンズなどで勉強したり、友と語らったり、どう過ごすかは皆さん次第です。サークルやボランティア活動、インターンシップなどにもぜひ挑戦してください。実り多い学生生活になるよう、私たち教職員も全力でサポートしてまいります。

皆さんが将来、確かな「専門力」と豊かな「人間力」に満ちた倫理観ある技術者として技術立国日本を背負い、活躍されることを期待し、本日の入学に際しての式辞といたします。

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